小里 栄子 様
そもそも私が気功をしてみようと思ったのは平成12年12月今から約6年前に突発性難聴になり片耳がほとんど聞こえない状態になりました。耳鼻科で出来る治療はすべてしました。しかしこれ以上は・・・と匙を投げられました。耳が聞こえることは今まで当たり前で、私の耳が聞こえなくなるなんて、一生このまま・・・本当にショックでした。
諦めきれずその後は鍼、漢方、どれもたいした効果はなく時が過ぎていきました。もっと気を長く持ってすればよかったのですが、その当時は焦っていたのでしょう。そして、ある日テレビで気功というものを見たのです。若い男の子が交通事故にあって脊髄損傷で足が全く動かなかったのが気功で動いたのです。すぐに倉敷で気功治療が出来る所をインターネットで探しました。
そして石村先生との出会いがあったのです。私のイメージであった気をあててもらうだけの治療とは違っていたのです。しかし、自ら体の中に気を取り入れて細胞を活性化させる。人間の体は細胞で出来ている。その細胞が活性化されて元気になれば病気も治る。治ったら今度は病気になりにくくなり心と共に健康になって行く。その方法に耳の聞こえを元に戻す事が目的だったのにもかかわらず、身体と心が開放されて気持ちよくなり、いつしか耳が聞こえてない事など忘れて毎週毎週一回も休むことなく行くようになりました。
先日職場の健診で聴力検査をしたら5デシベルアップしていました。まだまだ完治には遠いですが、心がどんどん元気になって本当に毎日が充実していてとても幸せです。
色んな体験と言えば、先ず先生が気を出すと私の体に触れなくても私が動くのです。本当に驚きでした。次にスプーンをこの私が曲げたのです。ユリゲラーみたいにです。内緒ですけどうれしくてレストランのスプーンも曲げちゃいました。そんな事私に出来るはずがないと思っていたのですが出来たのです。
不思議な事が起こるのです。それから、「たまゆら」の写真が撮れるようになったのです。しかも「たまゆら」の数が多くきれいな写真にはほど遠いものになってしまう程です。それからなんと言っても人としての心のあり方、魂の成長についてのお話を聞ける時間。
大好きです。気功教室なのにとっても得するおまけつきなのです。
ついに先日より瞑想を始めました。瞑想をしてみると、ずっと私が心の中でもうひとつ求めていたものがこれだ!と実感しました。
何か目に見えるものでもありませんが、本当に神様の存在を信じる事が出来ると共に未熟な自分自身を高められる。そして心が安らぎ日々穏やかでいられる。何か迷った時にも神様が自然にいい方向に導いてくれるような、そんな気さえしてきます。夫婦でここにたどり着けたことがとても幸せだと感じます。 最後に難聴に感謝です。難聴になったからこそ石村先生と出会い、今の幸せの私がいるのです。
私が今こうして生かされる魂が喜びも苦しみもすべて受け入れて豊かに成長できますようにと祈りつつ、これから先も瞑想を続けていきたいと思います。
工藤 美佐子 様
治療中の歯の痛みに耐えられず訴えたところ、先生の施してくださった気功療法によって、あの厳しい痛みがわずか10分程でとれたのです。
まるで魔法でもかけられたかのようでした。こんな不思議なことが起こる気功とはどんなものかと興味本位から通うようになりました。
最初は勝手が分からず、とんちんかんなことばかりして一緒に習っていた仲間と大笑いしたことも度々です。
先生との対気では、自然と体が動きだし、走ったり、転げまわったりと、とにかく楽しいのです。幼かった頃、兄妹で、でんぐりがえりやプロレスごっこをして遊んだあの感覚にどこか似ています。気功は体だけではなく、心も開放させてくれることを知りました。
また、回を重ねるごとに不思議なことが起こってくるのです。
まず、最初はスプーン曲げ、自分には無縁の世界だと思っていたことが、教室で皆とやってみると曲がったのです、あの曲がった瞬間の感覚は忘れられません。しばらくはやみつきになり家のスプーンを何本も曲げてしまいました。
続いて起こったのが肉眼では見えない気のエネルギーがカメラに写ったことです。
この一年を通して不思議な体験を色々させてもらいましたが、最も良かったと思えることは瞑想に出会えたことです。出会うまでは、ただ黙って座っているだけで何が得られるのだろうと思っていましたが、やり始めてみると、まだ数ヶ月ですが、自分が長年求めていたものは、これではなかったのかと思えるようになりました。
言葉では説明することのできない何かが沸いてくるのです、決して不快感ではなく、懐かしい感情・安堵感・心地よさ・童心・・・・・etc
この何かが少しでも分かるようになれるのが目標です。
石村先生からは気功だけではなく、人としての心のありようも教わります。この気功教室に出会えた自分とそうでない自分との10年後は、人間として大きな差があったことでしょう。
今、こうして巡り合えたことに心から感謝の気持ちで一杯です。